わたしの日記帳 パート24

平成17年3月28(木)

(天 気)晴れ

ライブドアの堀江氏に反論します W

本日TBSテレビみのもんた氏の番組に堀江氏が出ておりました。件の女史をはじめ堀江氏を持ち上げるゲストが何人かおり

ニューマヨークタイムズで堀江氏を新しい日本の若き投資家として大々的に取り上げている事を賞賛しておりました。国益を

最大限に考慮する同紙のコメントには深い配慮が感じられます。現在外国人が日本でM&Aを行うには規制があり、充分にそ

の目的を果たせない状況があります。堀江氏を礼賛し、開放が最も重要であるとの世論をつくり、自分達の買収を容易にする

意図があると思います。幸い今回の敵対的買収騒動により、各企業とも危機感を持つことができたのではないでしょうか。無

策に放置しておけば、優秀な日本の企業が米国や中国企業にいいように買収される危険があります。特に似非自由主義の中国

は要注意です。言論も中央の厳格な統制のもとにある共産主義一党の国ですから、政府が強力に後押しして買収に乗り込んで

くる可能性が充分に予想できます。又、今回の堀江氏の買収はメディアに対して行われているものであり、TBSのラジオ番

組で司会の伊集院氏がトップが誰に変ろうと番組が簡単に変るはずがないなどと全く理解に苦しむコメントを述べていました

が、トップが替われば当然局の方針が遅かれ早かれ変って行くことは確実です。視聴者が関心の薄い事柄に関しては放送する

必要はないとジャーナリストの江川昭子氏との対談で断言している堀江氏のメディア論には全く賛成することはできません。

平成17年3月27(日)

(天 気)晴れ

東北楽天イーグルスの歴史的勝利に貢献した?我がロッテオリオンズ

昨日は岩隅投手が見事なピッチングを披露し、楽天イーグルスの歴史的な勝利に貢献しました。私はロッテフアンですが、個

人では岩隅投手のフアンでもあり、清水投手の力投もありましたので、それなりに結果にも納得しております。最期まで、自

分の意思を通して、新規球団に所属した彼の気持ちが充分理解できるからです。旧近鉄のフアンもきっと喜んでいるのではな

いかとも思います。・・・しかし、本日の第二試合では26対0で我がロッテが勝利しました。楽天の二番手投手が誤算だっ

たようですが、シーズンは始まったばかりです。今年も楽しみたいと思っております。

平成17年3月27(日)

(天 気)晴れ

ライブドアの堀江氏を支持するコメンテーター

朝のフジテレビでライブドア問題を放映していました。SBIの北尾CEO(経営最高責任者)が、敵対的買収は結局うまくい

かない。双方の理解のもとで行われるのが一番良い結果に結びつくので堀江氏が私に会うというなら良い知恵を持っていると

いう趣旨の発言をされました。又、北尾氏は論語を常に愛読していることも紹介しておりました。ところで、番組の最後で女

性のコメンテーターが、「論語などを持ち出して、結局は古い者の勢力が勝つのはどうにも納得できないです」というような

発言をしました。

戦後、日本ではこの古いものは悪で新しいものが善であるという思想がはびこり、日本の良き風習や伝統を捨て去るような風

潮が正しいとされてきました。戦争に負けた日本は全てが間違っており、諸外国に比べて劣っているという自虐史観です。

これは巧妙に仕組まれた占領国アメリカの政策が功を奏していると言えます。そして、いわゆるインテリ層の多数は日本を蔑

む事に全身全霊を傾けると言う世界でも希有の状況を形成してきました。その結果、現在の誠にだらしない日本が出来上がっ

ているのです。戦後、50年以上も経つ現在でもこのような思想の人物がテレビで堂々と伝統を蔑み、古いということだけで

それは間違っていると断定することは誠に情けないと思います。欧米においても、各国の国民が良き伝統は大切に守っていま

す。古くても新しくても良いものは良いのであり、大切にしなければいけないものは大切にしなけれでいけません。

平成17年3月26(土)

(天 気)晴れ

ライブドアの堀江氏に反論します V

本日の産経新聞の「ライブドア・堀江社長インタビュー」に彼の一問一答形式の記事が3面に掲載されていました。産経新聞

の公平な立場から彼の主張がそのまま述べられておりました。・・・今後もメディアを変えていこうという気持ちがあるかの

問に、「メディアは変えていかないといけないと思う。全部がなくなれって言っているわけじゃない。ただ、お互いに拮抗し

た立場じゃないと、フェアじゃない。産経新聞に、堀江支持がひとつも出てこないというのは、新聞をすべて比較して読んで

いればわかる。おかしい、どう考えても産経新聞はおかしいって。(比較して読めば)わかるんだけれども、一般の人が新聞を

五紙もとるわけがない。一紙しかとっていない人は『堀江はひどいやつだ』と思っちゃうかもしれない。産経新聞だけを読ん

でいたらそれは非常に危険なことだ」・・・この堀江氏の意見に対しては一理あると思います。即ち、日本において新聞報道

主力は朝日新聞、毎日新聞、読売新聞等であり、産経新聞の占める地位は前社に比べると低いものです。一紙しか読まない人

人が多くおります。それらの人々の多くが朝日、毎日、読売の論調に左右されてきたことは確かだと思うからです。特に、朝

日新聞の東京裁判史観に固執する自虐史観、新聞の構成も巧みに主婦層を狙った家庭欄の充実、広告欄だけには朝日新聞と対

立する主張を載せた週刊誌はじめ各書籍の見出しの掲載(恰も朝日新聞がそれらの主張も、公平に取扱っているかのように)。

その論調が中国、韓国、北朝鮮の援護となり、教科書にまでその影響を与えています。日本の青少年の育成に明白に悪影響を

及ぼしています。新聞、テレビの影響は洗脳ともいえる誠に甚大なものがあります。この勢力に対して産経新聞は正面きって

立ち向かってきました。この産経新聞を日経新聞のような経済誌にしてしまおうという彼の発言があります。そのような人物

を心有る産経新聞の読者が支持することは考えられません。非常な危機感をもって事態の成行きをみつめているのです。彼が

産経新聞をおかしいという視点が理解できません。彼の中にも好きな新聞があり、産経新聞をそのような内容の新聞に変えた

いと思っているのかもしれません。私は常に朝日新聞と産経新聞を読み比べています。インターネットに載せる意見もこれら

の新聞やテレビ、ラジオ等から得た情報をもとにしていることは確かです。彼の手法は必要なものは何でもお金で買えば良い

という浅薄なものであり、メディアを安易に批判する資格はないと思います。・・・インタビューで彼の話す言葉の貧弱さは

その一面を物語っているように感じられます。

平成17年3月26(土)

(天 気)晴れ

韓国大統領の豹変

いつまでも過去の歴史にとらわれることなく未来を見据えた良い韓日関係を築いて行きたいと就任早々に発言していた大統領

は島根県議会が制定した「竹島の日」をきっかけに、待っていましたとばかりに正しく正反対の声明を発表しました。最近の支

持率の低迷もあり、絶好のアピールをしたと思っているのでしょうが、折角民間の交流で友好関係が深まってきている両国に

とってマイナスでこそあれプラスになるはずがありません。日本は竹島の領有権に関しては一つの提案として国際司法裁判所

の判断を求めてもよいのではないかと過去から再三要望しているにもかかわらず、韓国は聞く耳をもってきませんでした。明

らかに、自分達の主張に不利な点があると認識していると考えられます。日章旗を焼いたり、過激な行動をする人々に嫌悪感

を抱く日本人はかなりの数になってきていると思われます。その大統領に比べると通称ヨン様と呼ばれる韓国のスターの発言

は竹島は韓国領だという発言を除いては冷静なものだと思いました。日本を含むフアンを私の家族達と表現する彼の言葉の中

に大統領とは違う奥の深い対応がありました。現在の韓国の大統領は極めて親北朝鮮路線を突っ走っているようですが、これ

が金正日を延命させ、北朝鮮の多数の人民を餓死の苦しみに貶めている一因になっている事を考えるべきだと思います。

平成17年3月23(水)

(天 気)雨

ライブドアの堀江氏に反論します U

本日テレビのあるチャンネルで彼が発言していました。「皆様はお金を過小評価しているのではないですか。例えば、安心し

て、夜眠る事ができるのは何故ですか。それは家があり、ベッドがあるからではないですか。その家やベッドはお金を出して

購入するものですよ。そのことを皆様は分かっているのですか?」というものでした。・・・こんなことは皆分かっています

が、もう少しお金があれば随分楽になれるのにという人々は日本でも他の国々でも無数に存在すると思います。それでもお金

儲けが下手だったり、自分には余裕がないのにどうしても困っている人々や自分の子供達の将来のためにお金に苦しむ人々は

多数存在します。堀江氏はお金儲けの達人だと思いますが、彼を支えるお金儲けが下手な人々を忘れてはいけません。私は、

現在米国等で蔓延していると思われる拝金主義の思想にはどうしても共感する事はできません・・・

それでは、企業の第一線で必死で戦っている企業戦士には救いがないのでしょうか。私は決してそのようなことはないと信じ

ております。即ち、利己と利他の中間点に人間として真の生きるべき道が存在し、満足して一生を終える事ができる道が存在

すると思うからです。

平成17年3月16(水)

(天 気)晴れ

ライブドアの堀江氏に反論します

最近毎日のようにマスコミを賑わしているライブドアの堀江氏ですが、様々なニュースから徐々に彼の本音が表面化してきて

いるようです。過度にインターネットを信頼し、自分の考え以外は絶対に認めないという基本姿勢のようですが果たしてそれ

が本当に正しいことで、社会に受け入れられるものでしょうか。インターネットは従来では考えられないような利点があり、

我々のような一般の利用者にも数々の夢をかなえてくれる可能性のある素晴らしいせかいであるということは私も認識してお

り、私も益々微力ながら研究を重ねていこうと思っております。・・・しかし、マスメディアの買収を外資に許さないという

のは、自国が他の国に支配されるという最も危惧すべき危険を避ける為です。ライブドアは時間外の立ち会いにおいてニッポ

ン放送の株を公開買い付けの手法によらないで三分の一を超える株式を保有しました。その資金の出所は外資系の金融機関で

あり、今後ニッポン放送株の過半数を取得して経営に携わるようになれば、その外資の思惑も当然加わる事になることは明白

です。そして、本来の目的であるフジテレビ買収が成功したと仮定するとそれは一企業の問題ではなく、日本の国益にも大き

く影響する事になります。テレビが何を言おうが、新聞が新しい教科書を作ろうがそんなものは自分の都合の良いように変え

ていけばいいのだという、誠に恐ろしい考えの持ち主です。その根本にあるのは金であることは明白です。このような人物に

日本が左右される事は絶対に避けねばなりません。そして、もう一つ彼の特長は若者をもっと評価すべきだという反面に年配

者を軽視、又は蔑視するように感じられる点です。本日の新聞記事に日本、アメリカ、中国の高校生の意識調査が載っていま

したが、日本の若者は極端に自国や親を軽視し、楽をして生きていきたいという考えが強かったのがショックでした。そのよ

うな現状を少しでも改善しようというマスコミの積年の努力も一顧だにしない人物だといえるのではないでしょうか。

・・・・・私もインターネットを利用しますが、多くのチャットサイトの品の無さ、誹謗中傷の言葉が飛び交う姿はとても

まともな世界とも思えません。携帯のメールも同様で、あくまでも補助手段としての利用が本来であり、短い文章で相手に重

要な事柄を伝えるのは不正確であり、とんでもない誤解を生じます。又、一方的に自分の考えを相手に強要し、それに対する

返信は、あくまでも自分の都合の良い範囲内でのものを期待するという誠に身勝手な要求になりかねません。私はメールは通

信の補助手段として捉えるのが正しいと思います。通信もお互いの真意を伝える補助的なものであり、本来は互いの会話によ

り人間関係は成り立つべきものだと思うからです。プロ野球の誘致で楽天に敗れたのはライブドアのネットの有り様に疑問点

が多くあったのではないかと思います。楽天やソフトバンクの品の良さは一兆一隻で出来上がっているものではありません。

平成17年1月16日(日)

(天 気)雨

イラクにおける日本の自衛隊について

少し長い文章ですが、大変重要な内容ですので、読みにくいかもしれませんが、ぜひ内容を吟味してお読み下さい。

■1.前代未聞の感謝デモ■

イラクでは噂が伝わるのが速い。昨年12月14日の自衛隊の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込

まれるという騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が瞬く間に広まった。すると140人の老若男女

からなるデモ隊が「日本の支援に感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」と懇願した。同時に

「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展開され、2日間で1500人もの署名が集まった。[1]

実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民によ

る百人規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守ろう」というものだった。さらにいろいろな人

が宿営地に来て、「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意思ではない。どうか帰らないでくれ」

と陳情した。[2]

前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロ

リスト達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終了の近づく11月まで動きはなかった。

もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えなかった。逆にパレスチナ自治政府のアラファット前議長

の死去を受けてサマーワで行われた「パレスチナ支援デモ」では、20本ほどの横断幕のたった一つに「自衛隊は撤

退すべきだ」と書かれていただけで「反日デモ」などと報じた新聞があった。偏向報道もここまで来れば、確信犯と

いう他はない。

■2.「カーネル・サトウはサマーワの人々の心に到達した」■

自衛隊によるイラク支援は、活動当初からイラクの人々の心を捉えるよう綿密に準備されたものだった。先遣隊隊長

として乗り込んだ佐藤正久・一等陸佐は今回が3度目のPKO参加。最初のカンボジアの後に、ゴラン高原で一次隊

長を務めており、中東人とのつきあいを体験的に心得ていた。風貌も中東人風で、豊かな口ひげがよく似合う。現地

では「絶対に破らない約束をする」時、互いのヒゲを触る決まりがあるので、相手の家に招待された時などは、ヒゲ

が重要な役割を果たした。さらにイラク人の衣装を貰って、食事に招待された時にはこれを着ていった。現地の人々

と車座になって、右手で食べる。こうした姿勢をイラク人は「我々の伝統的文化を尊重してくれた」と非常に喜んだ。

ある部族長は「カーネル(大佐)サトウはサマーワの人々の心に到達した」と語った。帰国直前には「イラクから帰

ってくれるな。嫁と家は準備するから」とまで言われた。アラブでは妻は4名まで持てるので、あと3人は大丈夫だ

というのである。

■3.「カーネル・サトウを悲しませたくない」■

先遣隊の仕事の一つに宿営地の準備があったが、この土地の借用交渉がなかなかまとまらなかった。地主が法外な値段

をふっかけてきたからだ。日本のマスコミはこれをさも現地が自衛隊を歓迎していない証拠であるかのように報道した

が、佐藤一佐の思惑はもっと深い所にあった。私には合意を急ぐという気持ちは毛頭なかった。交渉でぎりぎりまで粘

って、我々の想定額にできるだけ近づけたいと思っていました。理由があったからです。「我々は占領軍ではない」こ

とをイラクの人たちにアピールするため、しっかりと契約を交わして、お金を払って宿営地をつくることを見せたかっ

た。それと、我々と同様に土地交渉を行っているオランダ軍の交渉に影響を与えないようにしたかった。悪い前例を残

さないような妥当な金額で決めたかったのです。ですから、はなから安易に折り合う気はなくて、時間をかけていこう

と腹を決めておりました。[3,p155]

ゴラン高原での経験からも、中東での交渉事は、じっくり時間をかけて、まず人間関係を作る所から始めなければなら

ない、と心得ていた。そのために約1ヶ月半の間に約10回も会って、時にはお茶を飲みながら、日本の文化を紹介し

たりまでした。こうしたプロセスを経て、最後には相手は「カーネル・サトウを悲しませたくない」と言って、きわめ

て妥当な金額で折れてくれた。

■4.「我々はあなた方の友人として、サマーワに来た」■

番匠幸一郎一等陸佐が率いる復興支援の本隊・第一次イラク復興支援群がサマーワに近づくと、道行く人々が遠くの方

からも大きく手を振った。最初は外国人が珍しいのかなと勝手に思っていたのですが、そうではなくて、彼らは日本の

自衛隊だとわかって手を振っていたのでした。子供たちは「ヤーバニー(日本人)」と声を上げながら走り寄ってきて

歓迎してくれました。 [3,p53]

装甲車両には色鮮やかな日の丸が描かれている。隊服の右胸、左袖、背襟下にも遠目にもよく目に見えるほどの日の丸

をつけていた。多国籍軍側からは「これでは『撃ってくれ』と言わんばかり。お前らはどうかしている」と何度も忠告

されたが、イラク人に「自分たちは日本の自衛隊」であることをことさらアピールしたかったからだ。

サマーワにつくと、番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語って理解を求めた。我々はあなた方の友人として、日本か

らサマーワに来た。我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化した。すべてが無に帰し、食料にも困る

日々が続いた。そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興さ

せた。そして、その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。メソポタミア文明という人

類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に同じことができないはずはない。我々

は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。[3,p58]

イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。さらに自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識

があったようだ。その日本から「友人として助けに来た」という番匠一佐の言葉はイラク人の心に響いたに違いない。

■5.意気に感じたイラク人作業者たち■

宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学のために訪ねてきたが、彼らが一様に驚くのは、イラク人

作業者たちが、夕方になってもまだ働いていることだった。外国の宿営地で雇っている作業者たちは3時、4時になる

と仕事が途中でも帰ってしまう。夏場には60度にも達し、風が吹くと汗はすぐに乾いて塩になってしまうほど、それ

も無理はない。外国の場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、彼らだけを働かせるのだが、日本では幹部自衛官で

も、彼らと一緒になって、ともに汗を流した。宿営地の鉄条網整備の際には、日本人2、3人とイラク人7、8人がチ

ームを作り、有刺鉄線に服はボロボロ、体中、血だらけ汗まみれになって作業を続けた。昼食は分け合い、休み時間に

は会話本を指差しながら、仕事の段取りについて話し合う。いったん意気に感ずると、とことん尽くすのがアラブの流

儀だ。終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒にブルドーザーに乗って働いているイラク人の作業者もいた。

■6.「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」■

600名の隊員による支援活動が始まった。6時に起床し、洗面・朝食後、8時からの朝礼ではイラク国旗と日の丸の

掲揚、ラッパによる両国国歌の演奏。それから5時の終礼まで作業が続く。

復興支援業務の柱は、給水、医療、公共施設復旧である。宿営地の北側にあるユーフラテス川の支流の運河から水を引

いて、4台の浄水車で一日80トンから100トンの飲料水を作る。これを日本のODAで寄贈した日の丸つきの12

両の給水車で、自衛官から運転の方法を教わったイラク人ドライバーが配る。これはイラクで殉職した故・奥克彦大使

のアイデアだった。 [a]

ユーフラテス川の水は水質が悪く、飲めば100%アメーバ赤痢にかかってしまうのでイラクの人々は決して飲まない

そうだ。戦闘で上水道が破壊されると、イラクの人々は浅い井戸の非衛生的な水を飲まなければならず、まさに死活問

題である[4]。

「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」など、感謝の声が多く寄せられた。

医療支援は、直接現地人を治療するのではなく、ODAによる医療器材や薬を供与し、自衛隊医官がイラク人医師への

最新医療技術の教育を行った。特に「いくら立派な機材を入れても、病院が汚れているのが一番問題なのだ」と説明す

ることで、掃除が行き届くようになり、「自衛隊が行くようになってから病院が綺麗になった」と評価された。

金にあかせた派手な援助ではなく、人々の生活に不可欠な基盤を地道に復興する、というのが、現地の人々に最も喜ば

れる支援のあり方だろう。

■7.「そこは日本にやってもらいたい」■

また、あくまでイラク人が自分で復興するのを支援するのだ、という方針は、学校や公共施設の復旧活動でも貫かれた。

一つには、なるべく現地の業者を使うことで、現地の雇用を創出して、深刻な失業率に歯止めをかけるためだ。

この点は他国の部隊や支援機関も同様だったが、彼らが業者にほとんど「丸投げ」するのが多かったのに対し、自衛隊

はプロセスを大事にした。佐藤一佐はこう語る。例えば、学校の修復であれば、学校長、部族長、評議会などが横並び

でいろんな意見を言いますが、それを統轄する人がいない。そこで、我々は一つ一つのニーズを拾い上げながら、ひざ

を付き合わして話し合いを続け、それぞれのイニシアティブを尊重しながら、青写真にまとめ、関係各位に合意をとっ

てから、詳細設計に入り、見積もりを作って、業者を募集し、選ぶという手順を踏みました。・・・

初めから丸投げしたほうが楽なのですが、我々は6月に予定されていた主権移譲後のあり方というものも視野に入れて

いましたので、このような過程を丁寧にすることも大切な復興支援の一つだと考えたのです。

実際、イラクの人たちの信頼は厚くなり、「そこは日本にやってもらいたい」という要望がどんどん増えていきました。

そして、主権移譲後は、他の国の部隊やNGOも日本のやり方に近づいています。[2]

こうした活動で、小学生からも「学校修復のおかげで、きれいな教室で勉強できる」と言ってもらえると、疲れも吹き

飛んだという。[1]

■8.ユーフラテス河の鯉のぼり■

5月5日のこどもの日にユーフラテス川に鯉のぼりをかけて泳がせ、戦禍のなかでたくましく生きるサマーワの子供た

ちに見せてやりたいのです。子供さんが成長されて、タンスのなかで眠っている鯉のぼりがあったらご提供いただけな

いでしょうか?

番匠一佐がイラクに来る前に駐屯地司令官をしていた北海道・名寄市の市民にこう呼びかけると、200本以上の鯉の

ぼりが集まった。

4月29日には宿営地そばに迫撃砲弾が撃ち込まれて、鯉のぼりプロジェクトの中止も検討されたが、この局面だから

こそで、敢えてこのプロジェクトを遂行しようと決定を下した。幅100メートルのユーフラテス川に多くの鯉のぼり

をかけ、同時に番匠一佐から次のようなメッセージが発せられた。

日本では宗教に一切関係なく、父親母親が成長を祈って、こどもの日に鯉のぼりを掲げます。下流から上流に向かって

流れに逆らい勢いよく上がっていく鯉は成長や健康の象徴です。子供はその国の将来そのものであり、イラクの子供が

明るい未来を築いてくれることを祈念します。 [3,p179]

サマーワ市民百人規模の「日本の自衛隊を守ろう」という前代未聞のデモ行進が行われたのは、この翌日のことであっ

た。

■9.「日本人の財産」■

番匠一佐がイラク支援を通じて感じたのは「日本人の財産」ということだそうだ。

日露戦争で頑張った日本人、戦後の廃墟から世界第二位の経済大国にまでつくり上げた父母、祖父母の努力。いまに至

ってもサマーワ最大のサマーワ総合病院は20年前の日本のODAによってできたものです。その当時の日本人がどれ

だけ立派だったか、という話をよく聞いたし、サマーワでは日本の車、電化製品の信頼性が異常なほど高い。今回ほど

自分が日本人あるいは自衛官であることを誇りに思ったことはありませんでした。[3,p76]

今回の活動も「まさに日本人がこれまでに積み上げてきたものに見守られていた」という。

「日本と日本人はイラクで非常に尊敬されている」(アラウィ・イラク暫定政府首相[5])という事実は、過去のODA

や経済活動で築いてきた「日本人の財産」である。今回の自衛隊の支援活動は、その財産目録に新たな一頁を加えたと

言える。

「自衛隊の水」を飲んで病気から治った子供たち、自衛隊の手で修復された学校に学ぶ子供たち、ユーフラテス川の鯉

のぼりに歓声をあげた子供たち、これらの子供たちが大人になった時、彼らは日本の心からの友人となるだろう。食料

やエネルギーの大半を輸入に頼るために、世界が平和でなければ生きていけない日本人にとって、こういう友人ほど大

切な財産はない。

(文責:伊勢雅臣)

・・・・・皆様如何お読みでしょうか。日本の多くのマスコミの報道では決して知る事のできない事実が述べられてい

るとお思いになりませんか。・・・・・

表紙に戻る