わたしの日記帳 パート23

平成17年3月6(日)

(天 気)晴れ

日韓併合を再評価せよ

韓国高麗大学名誉教授の韓昇助名誉教授が日本の産経新聞社発行の雑誌『正論』四月号に寄稿した論文「共産主義・左派思想

に根差す親日派断罪の愚−日韓併合を再評価せよ」が韓国で大きな反響を呼び、テレビや新聞、インターネットをはじめほと

んどのメディアが一面トップなどで大々的に紹介している。・・・「ロシアではなく日本の植民地統治になったのは韓国にと

って不幸中の幸いだった」「慰安婦問題での誇張した主張や賠償金の要求は高尚な民族のすることではない」「韓国人は不幸の原

因を自らではなく日本に押し付ける傾向がある」など、韓国における公式的な歴史観を否定し、韓国人の対日姿勢を厳しく批

批判したものだけに報道はすべて非難、糾弾調で「韓国知識人が妄言」というのもある。このため韓名誉教授には非難が殺到し

ているが、韓氏は「(日本統治時代の)親日行為をすべて反民族行為と見るのはおかしいといったことなど、日ごろの自分の所

信を明らかにしたに過ぎない。こうした主張が公開の議論になることを望みたい」と述べ、動じる様子はない。・・・韓国で

は日本統治時代を肯定的に評価するのは今なおタブーに等しい。韓国で「青少年有害図書」に指定され日本でベストセラーに

なった若手評論家・金氏(41歳)の『親日派のための弁明』は韓国ではほとんど無視されたが、韓氏の場合は名門・高麗大学名

誉教授で知名度が高いため注目されたようだ。韓氏は過去、雑誌発行などを通じ保守派知識人として活動し、最近は「自由市

民連帯」を組織し韓国社会の左傾化、親・北朝鮮傾向に警鐘を鳴らしている。・・・平成17年3月6日、産経新聞より

平成17年3月5(土)

(天 気)晴れ

小学校における過激な性教育

本日テレビの参議院での国会中継を見ていましたが、ある女性議員の質問内容に驚愕しました。ある地域の小学校三年生の社

会科の教科書に男女の性行為のイラストを載せていました。男女共同参画という文部省の指導を曲解してこのような小学校の

三年生に誤った教育をしているのです。その教科書を見た親達が驚いて抗議したことから表沙汰になったようです。歴史にお

いては日本史に中国や朝鮮のヒーロー達を大きく取り上げ、日本を蔑んでいます。正直な子供達はこのような教科書で学んだ

結果として、自分の両親や祖父母を軽蔑するようになります。挙げ句の果てはこのような誤った性教育を幼い児童に押し付け

るとは非常識も甚だしいと思います。

平成17年3月4(金)

(天 気)雪後曇り

東京にも雪が降りました

寒いですね。東京は未明から降りだしたようですが、気温が下がってとても寒いです。北国の方々にとっては2cm程度の雪は

降ったうちに入らないのかもしれませんが、近年の温暖化による気温の上昇に慣れている我々には大変寒く感じます。午後に

なると小止みになり、その後は止みました。隅田川の雪景色を見に行こうと思いましたが、寒いのでやめました。きっとカモ

達は湾処(わんど)の堤防の上で静かにしていることでしょう。やはり行けばよかったかな?

平成17年2月16(水)

(天 気)晴れ

最近続発する凶悪な事件は何故起こるのか

誠実に年を重ね病におかされたご婦人をヒーターで、生まれたばかりの赤子をナイフで頭部を、小学校に侵入し生徒や父母等

に敬愛されていた教師を刺し、信用金庫の職員が帰宅時に殺害される等々、私にはこんな日本人が続発することをとても信じ

ることができません。何故このようなことになるのか、皆様は深く考えた事がおありでしょうか。日本という国はは実は本当

に世界に誇る民族だということを報道されていません。・・・イラクにおける日本の自衛隊の姿は、全世界の人々に真の日本

人を知らしめることになっています。それにも拘わらず、日本の多くのマスコミは自虐的な思想から脱却できずにおります。

それは自分達の思想的な満足を満たすのみで、日本の多くの青少年に決定的な悪影響を与えています。自国に誇りが持てず、

自分の生き方もわからず、悩み苦しんでいる若者が、限度を超えれば死ぬこともある人間を、何度も何度も蹴ったり殴ったり

するようなゲームに熱中して、現実との遊離に鈍感になり、ついには殺人という行為にまで至っても反省すらできない人間に

なってしまうという現実があると私は確信しています。正にその罪を犯しているマスコミ等を断じて許すことはできません。

平成17年2月6(日)

(天 気)晴れ

素晴らしい方々との出会い

本日は長男の大切な方々との食事会がありました。私より4つ年下の長男の心友の父親は元ラガーマンで、気性もさっぱりと

した方でした。見るからに一杯飲めそうな感じですが、体質的に全く飲めないということでした。しかし、大変話題が豊富で

酒好きの私でも退屈するようなことはありませんでした。奥様も魅力的な方で、娘さんや息子さんにも非常に親しみをを感じ

ました。とても楽しく、素敵な時を過ごすことができました。幸せな一日でした。・・・・・

平成17年2月3(木)

(天 気)晴れ

タレント萩本欽一さんの野球への熱い思い

昨日ですか、タレントの萩本欽一さんがテレビで話しているのを見ました。社会人野球球団の監督として今年から活躍される

ようですが、その信念は強く敬服に値するものだと思いました。高校野球や大学野球、ノンプロからプロ野球選手になる人は

ごく一部であり、野球好きでもっと高度なプレーをしたくても活躍の場が無くて精々草野球に甘んじている人々が大勢いるこ

とをもっと認識すべきだと発言していました。そして、そのような球団をもっともっと増やして活性化してその中からもプロ

野球選手が誕生するような環境をつくりたいというのです。大変卓越した夢のある構想で、是非実現してほしいと願っており

ます。そのテレビに出演中にソフトバンクの王監督からテレビメッセージがあり、交流試合を申し込まれた彼は感激しており

ました。芸能活動だけでも一流の彼がそれ以外の夢に向かって突き進む姿は素晴らしいと思います。私も応援しております。

平成17年2月1(火)

(天 気)晴れ

店内の土間の塗装

エメラルドグリーンの塗装液をコンクリートの土間に塗りました。うすめ液を混ぜて塗装液を塗りますが、大変臭いがキツイ

く又、すぐに液が衣服に附着しますので、マスクに手袋、そして汚れてもよい衣服という格好で作業しました。最初はうすめ

液と塗装液を半々位使用してさっと塗りますが、徐々に濃い液を塗布してゆきます。結局この作業は一日かかりましたが、乾

燥した空気の所為もあり、塗装の乾きが早くて助かりました。夕方6時には中にバイク、自転車等を置いてもタイヤに塗料が

附着しませんでしたので作業は終了しました。何でもやってみなければ分からないものです。・・・結構綺麗に出来上がり、

前の家の方にも褒めていただきましたので、とても嬉しかったです。専門家に頼めばという方がいらっしゃるかも知れません

が、多少下手でも一生懸命自分でやり遂げたという達成感は素晴らしく、何とも言えない充実感がありました。

平成17年1月31(月)

(天 気)晴れ

ロッテオリオンズに期待の大砲

198cm、113キロという巨漢の外野手バスクチが来日しました。バレンタイン監督によるとこの身体で足が速く一番も

こなせる選手だそうです。非常に興味のある選手だと思いますが、日本の細かい野球に適合する能力を持ちあわせているよう

なので楽しみです。バレンタイン監督は非常に有能で、選手の能力を引き出す人物です。そして、何よりもチームを明るくし

てくれますので私は大の監督フアンです。大リーグの監督としての要望もあるようですが、我がロッテオリオンズの為に尽力

してくれる彼に今年の益々の活躍を望んでいます。頑張れロッテオリオンズ!!

平成17年1月28(金)

(天 気)晴れ

人生を楽しくする礼儀・・・を知らない中高年

超速乾のセメントを買いに近くのディスカウント店に行きました。レジでならび方が二列になってしまいました。明らかに年

輩のご婦人が先だったので、待っていましたがどうぞと先を譲られました。終わってからすみませんでしたと言いましたが、

笑顔で、いいえと言ってくれました。・・・コンビニで私の方が先だと思いましたが、どうぞと先を譲りました。40歳位の

男性でしたが、全く無言で何の反応もみせませんでした。このような中高年が増えている現状は誠に情けなく、このような親

に子供の健全な教育などできるはずがありません。

平成17年1月28(金)

(天 気)晴れ

阪神タイガースの井川投手はいらない

日本のプロ野球はアメリカ大リーグの下請けではありません。ルールを無視して大リーグ行きを強硬に主張する阪神タイガー

スの井川投手は日本のプロ野球のみならずアメリカ大リーグにとっても不要な存在と切捨てるべきです。誠に不快な男です。

平成17年1月21(金)

(天 気)晴れ

浅草自動車整備協同組合の新年会

いつも大変お世話になっている組合の方々の新年会です。参加者は組合の方々、自動車のディーラーさん、様々な自動車の部

品関係の方々、販売店の方々と多士済々の面々が一同に会します。この中のかなりの方は年に2回のゴルフコンペで同じみで

すので、親しい言葉もかけていただけます。又、今回初めての参加者の若者はゴルフは好きですが、下手だと発言しました。

しかし、私以上に下手な方は殆どいませんので、幹事であり、理事であるYさんに次回のコンペに誘って下さいと進言しまし

た。きっと次回には参加して下さると思います。・・・・・それにしても大変楽しい時を過ごさせていただきました。皆に当

たるビンゴの景品はただ単に運が良いか悪いかにかかっていますが、幹事の若い社長は誠に面白く、何かとこじつけて番号を

決めるのではと思い、試行錯誤しますが、今回も外れたかもしれません。でも、私としては当てたと思っております。社長、

有難うございました。??・・・・・

平成17年1月17(月)

(天 気)晴れ

台東区に世界一のタワーを!!

今、東京タワーに変わる地上600メートルの世界一の超高層タワーの建設が話題となっています。これは実際に実現される

事だけは決定している事業計画です。但し、予算等の詳細が国から示されていない為に台東区では区長も慎重な姿勢をとって

いるようです。しかし、豊島区、墨田区、足立区、さいたま市等は行政が一体となってこの世紀のプロジェクトに邁進してい

るようです。これに危機感を覚えた台東区の有識者や地元町会等が本日の決起大会にこぎつけたというのが実状のようです。

世界の有名な高層タワーは殆どが川辺に建てられているそうです。隅田川の辺にこのタワーが建てられれば、それらのタワー

に負けないような魅力的なタワーになり、名乗りをあげている中で、都心にも近く立地条件は悪くないと応援弁士達は述べて

おりました。私も結果はどうなるか分かりませんが、誘致すべく運動を展開することは良いことだと思っています。隅田川は

陸上交通だけでなく、水上交通の可能性を広げることもできます。・・・・・それにしても、懸命に取組んだ川辺の実状はま

ことに情けないものがあります。私も都にお願いしてきましたが、折角多額の資金を投入して実現した川辺の整理をきちんと

実現し、川にゴミを捨てない、川を大切にすることをまず第一に進めてほしいと念願しております。

この件に関しては、都も区も深く認識しているようです。この計画に拘わらず、折角多額の費用と年月をかけて建設した誠に

希有な都心の水辺を大切にして区や都のみならず、全国の方々や外国の方々に真に楽しみ和んでいただく水辺にしてほしいと

念願しております。万一世界一のタワーが建てられなくても素晴らしい都会のオアシスになることは確実です。

平成17年1月16日(日)

(天 気)雨

イラクにおける日本の自衛隊について

少し長い文章ですが、大変重要な内容ですので、読みにくいかもしれませんが、ぜひ内容を吟味してお読み下さい。

■1.前代未聞の感謝デモ■

イラクでは噂が伝わるのが速い。昨年12月14日の自衛隊の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込

まれるという騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が瞬く間に広まった。すると140人の老若男女

からなるデモ隊が「日本の支援に感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」と懇願した。同時に

「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展開され、2日間で1500人もの署名が集まった。[1]

実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民によ

る百人規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守ろう」というものだった。さらにいろいろな人

が宿営地に来て、「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意思ではない。どうか帰らないでくれ」

と陳情した。[2]

前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロ

リスト達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終了の近づく11月まで動きはなかった。

もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えなかった。逆にパレスチナ自治政府のアラファット前議長

の死去を受けてサマーワで行われた「パレスチナ支援デモ」では、20本ほどの横断幕のたった一つに「自衛隊は撤

退すべきだ」と書かれていただけで「反日デモ」などと報じた新聞があった。偏向報道もここまで来れば、確信犯と

いう他はない。

■2.「カーネル・サトウはサマーワの人々の心に到達した」■

自衛隊によるイラク支援は、活動当初からイラクの人々の心を捉えるよう綿密に準備されたものだった。先遣隊隊長

として乗り込んだ佐藤正久・一等陸佐は今回が3度目のPKO参加。最初のカンボジアの後に、ゴラン高原で一次隊

長を務めており、中東人とのつきあいを体験的に心得ていた。風貌も中東人風で、豊かな口ひげがよく似合う。現地

では「絶対に破らない約束をする」時、互いのヒゲを触る決まりがあるので、相手の家に招待された時などは、ヒゲ

が重要な役割を果たした。さらにイラク人の衣装を貰って、食事に招待された時にはこれを着ていった。現地の人々

と車座になって、右手で食べる。こうした姿勢をイラク人は「我々の伝統的文化を尊重してくれた」と非常に喜んだ。

ある部族長は「カーネル(大佐)サトウはサマーワの人々の心に到達した」と語った。帰国直前には「イラクから帰

ってくれるな。嫁と家は準備するから」とまで言われた。アラブでは妻は4名まで持てるので、あと3人は大丈夫だ

というのである。

■3.「カーネル・サトウを悲しませたくない」■

先遣隊の仕事の一つに宿営地の準備があったが、この土地の借用交渉がなかなかまとまらなかった。地主が法外な値段

をふっかけてきたからだ。日本のマスコミはこれをさも現地が自衛隊を歓迎していない証拠であるかのように報道した

が、佐藤一佐の思惑はもっと深い所にあった。私には合意を急ぐという気持ちは毛頭なかった。交渉でぎりぎりまで粘

って、我々の想定額にできるだけ近づけたいと思っていました。理由があったからです。「我々は占領軍ではない」こ

とをイラクの人たちにアピールするため、しっかりと契約を交わして、お金を払って宿営地をつくることを見せたかっ

た。それと、我々と同様に土地交渉を行っているオランダ軍の交渉に影響を与えないようにしたかった。悪い前例を残

さないような妥当な金額で決めたかったのです。ですから、はなから安易に折り合う気はなくて、時間をかけていこう

と腹を決めておりました。[3,p155]

ゴラン高原での経験からも、中東での交渉事は、じっくり時間をかけて、まず人間関係を作る所から始めなければなら

ない、と心得ていた。そのために約1ヶ月半の間に約10回も会って、時にはお茶を飲みながら、日本の文化を紹介し

たりまでした。こうしたプロセスを経て、最後には相手は「カーネル・サトウを悲しませたくない」と言って、きわめ

て妥当な金額で折れてくれた。

■4.「我々はあなた方の友人として、サマーワに来た」■

番匠幸一郎一等陸佐が率いる復興支援の本隊・第一次イラク復興支援群がサマーワに近づくと、道行く人々が遠くの方

からも大きく手を振った。最初は外国人が珍しいのかなと勝手に思っていたのですが、そうではなくて、彼らは日本の

自衛隊だとわかって手を振っていたのでした。子供たちは「ヤーバニー(日本人)」と声を上げながら走り寄ってきて

歓迎してくれました。 [3,p53]

装甲車両には色鮮やかな日の丸が描かれている。隊服の右胸、左袖、背襟下にも遠目にもよく目に見えるほどの日の丸

をつけていた。多国籍軍側からは「これでは『撃ってくれ』と言わんばかり。お前らはどうかしている」と何度も忠告

されたが、イラク人に「自分たちは日本の自衛隊」であることをことさらアピールしたかったからだ。

サマーワにつくと、番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語って理解を求めた。我々はあなた方の友人として、日本か

らサマーワに来た。我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化した。すべてが無に帰し、食料にも困る

日々が続いた。そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興さ

せた。そして、その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。メソポタミア文明という人

類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に同じことができないはずはない。我々

は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。[3,p58]

イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。さらに自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識

があったようだ。その日本から「友人として助けに来た」という番匠一佐の言葉はイラク人の心に響いたに違いない。

■5.意気に感じたイラク人作業者たち■

宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学のために訪ねてきたが、彼らが一様に驚くのは、イラク人

作業者たちが、夕方になってもまだ働いていることだった。外国の宿営地で雇っている作業者たちは3時、4時になる

と仕事が途中でも帰ってしまう。夏場には60度にも達し、風が吹くと汗はすぐに乾いて塩になってしまうほど、それ

も無理はない。外国の場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、彼らだけを働かせるのだが、日本では幹部自衛官で

も、彼らと一緒になって、ともに汗を流した。宿営地の鉄条網整備の際には、日本人2、3人とイラク人7、8人がチ

ームを作り、有刺鉄線に服はボロボロ、体中、血だらけ汗まみれになって作業を続けた。昼食は分け合い、休み時間に

は会話本を指差しながら、仕事の段取りについて話し合う。いったん意気に感ずると、とことん尽くすのがアラブの流

儀だ。終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒にブルドーザーに乗って働いているイラク人の作業者もいた。

■6.「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」■

600名の隊員による支援活動が始まった。6時に起床し、洗面・朝食後、8時からの朝礼ではイラク国旗と日の丸の

掲揚、ラッパによる両国国歌の演奏。それから5時の終礼まで作業が続く。

復興支援業務の柱は、給水、医療、公共施設復旧である。宿営地の北側にあるユーフラテス川の支流の運河から水を引

いて、4台の浄水車で一日80トンから100トンの飲料水を作る。これを日本のODAで寄贈した日の丸つきの12

両の給水車で、自衛官から運転の方法を教わったイラク人ドライバーが配る。これはイラクで殉職した故・奥克彦大使

のアイデアだった。 [a]

ユーフラテス川の水は水質が悪く、飲めば100%アメーバ赤痢にかかってしまうのでイラクの人々は決して飲まない

そうだ。戦闘で上水道が破壊されると、イラクの人々は浅い井戸の非衛生的な水を飲まなければならず、まさに死活問

題である[4]。

「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」など、感謝の声が多く寄せられた。

医療支援は、直接現地人を治療するのではなく、ODAによる医療器材や薬を供与し、自衛隊医官がイラク人医師への

最新医療技術の教育を行った。特に「いくら立派な機材を入れても、病院が汚れているのが一番問題なのだ」と説明す

ることで、掃除が行き届くようになり、「自衛隊が行くようになってから病院が綺麗になった」と評価された。

金にあかせた派手な援助ではなく、人々の生活に不可欠な基盤を地道に復興する、というのが、現地の人々に最も喜ば

れる支援のあり方だろう。

■7.「そこは日本にやってもらいたい」■

また、あくまでイラク人が自分で復興するのを支援するのだ、という方針は、学校や公共施設の復旧活動でも貫かれた。

一つには、なるべく現地の業者を使うことで、現地の雇用を創出して、深刻な失業率に歯止めをかけるためだ。

この点は他国の部隊や支援機関も同様だったが、彼らが業者にほとんど「丸投げ」するのが多かったのに対し、自衛隊

はプロセスを大事にした。佐藤一佐はこう語る。例えば、学校の修復であれば、学校長、部族長、評議会などが横並び

でいろんな意見を言いますが、それを統轄する人がいない。そこで、我々は一つ一つのニーズを拾い上げながら、ひざ

を付き合わして話し合いを続け、それぞれのイニシアティブを尊重しながら、青写真にまとめ、関係各位に合意をとっ

てから、詳細設計に入り、見積もりを作って、業者を募集し、選ぶという手順を踏みました。・・・

初めから丸投げしたほうが楽なのですが、我々は6月に予定されていた主権移譲後のあり方というものも視野に入れて

いましたので、このような過程を丁寧にすることも大切な復興支援の一つだと考えたのです。

実際、イラクの人たちの信頼は厚くなり、「そこは日本にやってもらいたい」という要望がどんどん増えていきました。

そして、主権移譲後は、他の国の部隊やNGOも日本のやり方に近づいています。[2]

こうした活動で、小学生からも「学校修復のおかげで、きれいな教室で勉強できる」と言ってもらえると、疲れも吹き

飛んだという。[1]

■8.ユーフラテス河の鯉のぼり■

5月5日のこどもの日にユーフラテス川に鯉のぼりをかけて泳がせ、戦禍のなかでたくましく生きるサマーワの子供た

ちに見せてやりたいのです。子供さんが成長されて、タンスのなかで眠っている鯉のぼりがあったらご提供いただけな

いでしょうか?

番匠一佐がイラクに来る前に駐屯地司令官をしていた北海道・名寄市の市民にこう呼びかけると、200本以上の鯉の

ぼりが集まった。

4月29日には宿営地そばに迫撃砲弾が撃ち込まれて、鯉のぼりプロジェクトの中止も検討されたが、この局面だから

こそで、敢えてこのプロジェクトを遂行しようと決定を下した。幅100メートルのユーフラテス川に多くの鯉のぼり

をかけ、同時に番匠一佐から次のようなメッセージが発せられた。

日本では宗教に一切関係なく、父親母親が成長を祈って、こどもの日に鯉のぼりを掲げます。下流から上流に向かって

流れに逆らい勢いよく上がっていく鯉は成長や健康の象徴です。子供はその国の将来そのものであり、イラクの子供が

明るい未来を築いてくれることを祈念します。 [3,p179]

サマーワ市民百人規模の「日本の自衛隊を守ろう」という前代未聞のデモ行進が行われたのは、この翌日のことであっ

た。

■9.「日本人の財産」■

番匠一佐がイラク支援を通じて感じたのは「日本人の財産」ということだそうだ。

日露戦争で頑張った日本人、戦後の廃墟から世界第二位の経済大国にまでつくり上げた父母、祖父母の努力。いまに至

ってもサマーワ最大のサマーワ総合病院は20年前の日本のODAによってできたものです。その当時の日本人がどれ

だけ立派だったか、という話をよく聞いたし、サマーワでは日本の車、電化製品の信頼性が異常なほど高い。今回ほど

自分が日本人あるいは自衛官であることを誇りに思ったことはありませんでした。[3,p76]

今回の活動も「まさに日本人がこれまでに積み上げてきたものに見守られていた」という。

「日本と日本人はイラクで非常に尊敬されている」(アラウィ・イラク暫定政府首相[5])という事実は、過去のODA

や経済活動で築いてきた「日本人の財産」である。今回の自衛隊の支援活動は、その財産目録に新たな一頁を加えたと

言える。

「自衛隊の水」を飲んで病気から治った子供たち、自衛隊の手で修復された学校に学ぶ子供たち、ユーフラテス川の鯉

のぼりに歓声をあげた子供たち、これらの子供たちが大人になった時、彼らは日本の心からの友人となるだろう。食料

やエネルギーの大半を輸入に頼るために、世界が平和でなければ生きていけない日本人にとって、こういう友人ほど大

切な財産はない。

(文責:伊勢雅臣)

・・・・・皆様如何お読みでしょうか。日本の多くのマスコミの報道では決して知る事のできない事実が述べられてい

るとお思いになりませんか。・・・・・

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